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ラドネツの聖セルジオ                           記念日 9月 25日


 セルジオは1314年ロシアのロストフの上流階級の家に生まれ、洗礼名はバルトロメオであった。15歳の時モスクワとロストフの間に内戦が起こって、彼の家族は全財産を失って逃げ出す必要に迫られ、モスクワから50マイル先のラドネツに貧しい農夫として住むことになった。
 5年後に、バルトロメオと兄のステファはラドネツをとりまく淋しい森の中でキリスト教の隠修士として住むことに決めて、丸太小屋と聖三位一体にささげられた木造の小さな聖堂を建てた。しかし兄はロシアの冬と食糧の不足と襲ってくる動物を耐え忍ぶことができず、自分の家に帰った。
 バルトロメオはその地方の修道院長のもとで誓願を立て、セルジオという名を与えられて、森の中に住み続けた。しかし、ただ一人で暮らしたいという望みはとげられず、だんだんと多くの人々がこの賢明な修道士に相談するために訪ねて来た。そしてある人達は仲間に入れてくれと頼んだ。
 ロシアの修道生活はトルコ軍の侵入によって全く滅亡していたので、セルジオの修道院はロシアの宗教的伝統の中心的要素のひとつを再び創り出していた。セルジオは決して誰も追い出すことはしなかった。
 1380年モスクワのドミトリ・ドンスコイがトルコ人の勢力を気遣ってセルジオに相談に来た。セルジオは、もしロシア兵が彼らの国のために信仰を持って戦うならば勝利を得るだろうと主張した。王はセルジオの言葉を信じた。マホメット教徒のトルコ人は征服されて、ロシアはキリスト教国として残った。セルジオは分割された自分の国へ平和をもたらして、敵対している王と貴族たちを仲直りさせるために身をささげようと決心した。
 1378年、彼はモスクワの総大司教として叙階されることを辞退した。「私は若い時から黄金を決して身につけなかった。今私は老人だから、なおさら私の貧しさに甘んじる」と彼は言った。その後、4年間自分の修道院を治めて、1382年平安な死をとげた。それまでに彼は40以上の修道院を創立していた。